「逃げる」と「気にしない」の違い

ふと思ったんだけど、がんを生きる為の「逃げる」と「気にしない」の違いって何だろう?

 

「逃げる」とは、文字通り「がんから逃げる」こと。誰かに対応を任せて、自分の中では、なかたことにする。情報収集も結論ありきのレベルだったし、その本心は、怖くて、悲しくて、そして悔しかった。

 

誰かが何かで書いているので、それでうまく行くはずだと考え、無理に笑顔を作り、そして信じれば何とかなると思い込もうとしていた。

 

結局は逃げていた事になる。少なくとも私はそうだった。

 

その後、少しずつ何かが変わってきた。有り体にいうと「なれた」らしい。

 

今は、がんだと言うことがあまり気にならなくなった。

 

でも、ちゃんと情報と向き合えるし、以前と違う結論も受け入れられるようになったし、決めたことや考えたことの修正変更も自然にできるようになった。

 

がんだと言うことを、あまり気にしていないので、普通に笑えるようになった。

 

ただ、メッセージ性の高い歌詞の音楽や、ドラマのセリフを聞くと泣けてくるのは変わらないけどね。

 

これは以前の「逃げている」とは少し違ってきた気がする。

だからといって実際の生存率に差はないのだろうけど。

 

以前は、生存率が少しでも上がる方法を選択しようと必死だった気がする。

今も、生存率が少しでも上がる方法を選択するのは当然の話しとして、以前ほどあたふたと情報に振り回されることは少なくなった気がする。

 

私の場合、サプリや考え方や生き方等自分でできる事で、短期的に効果を出すことはできない事。そして、これらはあくまで長期戦のための「隠し味」的なものだと言うことがわかった。

 

要するに「あたふたしても、たいして変わらん」という気がしている。と同時に「すぐには死なない」という「のんきさ」も出てきた。

 

そして、生存率がたいして変わらんとしても、それでも「自分の決めた道」を歩みたいと思えるようになってきた。

 

でも、また「思わぬ事態」がおこれば、大慌てして、あたふたするんだろうなあ。。。