心の力と役割について

「患者の役割」に続いて、「体の力と役割」や「心の力と役割」について考えてみました。

と言うのも、これまで私は「体の力」に、何度も救われてきました。

がんになって、心は動揺していて、何をして良いか、何を考えるべきか、よくわからない間に、あれよあれよと手術になり、そして、予後も良好で無事乗り切って来ました。

日本の現代医療の技術の高さと、それを受けきる事ができた「体の力」によるものです。(あと、嫁の支援)

私自身は、特に何もしていない実感がありました。

がんばった訳でも、何か努力した訳でも、覚悟した訳でもありません。

ただただ、言われるままに、手術台に寝そべり、言われるとおりにリハビリしていただけです。

すべては「体の力」が受けきった結果、今日の平穏な生活がおくれているのです。

そのように強く産んでくれた親には本当に感謝です。

でも、私は何をしたんだろう?

そういう疑問が湧いてきました。

「私自身、何もしていない実感」というのは、大雑把に言うと、「体は悲鳴を上げている限界状況、しかしそれでも心の力でなんとかのりきったーーーー!」的な感覚がないという事です。

要するに「マラソン」とか「山登り」的な、あの感覚です。

「肉体の限界を超えたーーーー!」的な。

でも、それが「がん治療」で来る時ってヤバイ時やん。

そういう話はちょっといやだから、考えなおしてみることにしました。

生き延びる為に、何をするべきだろうか?

私の「がん治療」は、長期戦です。まあ、一生モンとも言えます。

なので長期戦のものをイメージすることにしました。

車とかバイクの耐久レースです。

マシンが「体」、ライダーやドライバーを「心」と想定すると、「やるべき事」が見え始めてきました。

耐久レースでの、ライダーやドライバーの役割は、できるだけ早いペースを維持しながら、マシン(サスやエンジン、ブレーキなど)への負担を限界まで減らすことです。

スプリントレース(短距離レース)のように、「マシンの限界を超えた速さ」を求めている訳ではありません。走り方がまったく違うのです。

耐久レースで求められているのは「安全、確実、かつマシン負担を減らした長時間の安定走行」です。

これなら、今の状況にとっても似ています。

私的には、イメージしやすくいい感じですね。

心の役割とは「安全、確実、かつ体の負担をできるだけ減らし、長期間に渡るがん治療を普通の生活で維持できるようにする為にやるべき事をやる」と言う事になります。

例えば、前回やった抗癌剤の副作用のコントロールを目的とした、「1回サボり」とかです。

「抗癌剤サボり」への判断と決断は、意外と怖いものでもあります。

がんマーカーや他の血液データが、良い傾向を示していたので決断できたのですが、そうでなかったら怖くてできなかったかもしれません。

この「恐怖に打ち勝ち、正しいと信じられる決断を自分で行い、躊躇せずに実行する」事が「心の力と役割」なのかもしれません。

「躊躇せずに」とか、かっこいいことを言っていますが、今回ドクターのお墨付きがあったから実行できたのは事実です。

まあ、決断するにあたって、おもしろキャラの薬剤師のオネーさんの強力なプッシュがあったのも事実です。

しかし、「今回、抗癌剤をサボりたいです。」とドクターに対して明確に言えた自分を褒めてやりたいと思います。

そして、その結果、体がなかり楽になったことや、1回パスったにもかかわらず、がんマーカーや他の数字も、良い傾向を維持したままなのも、ちょとした自信につながりました。

「恐れ、怒り、悲しみ」にできるだけとらわれずに、よりよい決断を行い、体への負担をできるだけ減らしつつ、がんをコントロールしていくという「心の力と役割」が、少しわかった気がします。